伊能忠敬は当時どうやって測量をしたのか

伊能忠敬は当時どうやって測量をしたのか

現代は技術も進歩し、様々な道具を使って測量しています。トータルステーション、GNSS測量機、水準儀など…。最近ではドローンに3Dスキャナーをつけて点群を作成することもできるようになってきました。

しかし、はるか昔…江戸時代の測量はいったいどうやっていたのでしょう。

かの有名な伊能忠敬が日本地図を作成しようと測量を行った話はご存じかと思いますが、一歩ずつ歩測で測り、地図を書き上げたわけではなく、様々な道具を使っていたとされています。
そこで現代の道具と江戸時代の道具を比較しながら見ていきましょう。

梵天 ⇔ ポール


まず、基準となる方向を決めるために、「梵天」という旗のようなものを使用していました。これは現代でいうとポールなどに該当します。
また、遠くの山の山頂など、はっきりとしたものを目標として決める場合もあったようです。

間縄、鉄鎖(間棹) ⇔ 鋼巻尺


歩測を用いて(伊能忠敬は約69㎝だったとされています)距離を観測する場合もあったとされていますが、正しい距離を求めることが難しいということもあり、麻の縄を使って測量を行いました。しかし、伸び縮みすることで正確な距離が測れなかったため、「鉄鎖」を用いて観測しました。

鉄鎖とは両端を輪のようにして長さ一尺の鉄線を60本つないだ鎖です。それらを伸ばした長さを十間として使用していました。
しかし、この鉄鎖も摩擦などで削れたりして、正確な長さを保てなくなることがあるため、「間棹」という長さ二間の木の棹で毎日長さを確認していたようです。

これらは現代でいえば鋼巻尺といえるでしょう。今やすべて機械が自動で距離を導き出してくれるので、これらの作業を手作業で…と思うととても気が遠くなるような作業であったことは想像に難しくありません。

また、後述しますが、距離を正確に測るために、こうした手作業の部分と、星の高度を観測する方法もとられています。星の高度から、緯度経度を知ることで正確な距離を求めようとしました。
しかしながら、緯度1度の距離は1000分の1の誤差ほどしかなかったのに対し、経度1度は天体観測が十分にできなかったことなどから大きな誤差を生じています。

小方位盤・中方位盤・大方位盤 ⇔ トータルステーション


小方位盤とは杖の先に羅針盤をつけたものです。この羅針盤は杖を傾けても常に水平が保たれるようになっており、精度は10分単位まで読むことができたそうです。
平地では三脚で固定して、山地などでは地面に突き立てて使用することで、垂直に立てるように使用しました。

中方位盤・大方位盤も同じように角度を知るための道具ですが、かなりの大きさがあり長距離の移動では使用することもままならないため、あまり好んでは使用されなかったようですが、諸説ありはっきりとしたことはわかっておりません。

これらは現代ではほとんどが機械中で行われていることになりますが、トータルステーションで後視点を基準に前視点を観測したときの水平角を同時に記録しているのと同じ作業になりますね。また、船の上から観測したこともあったようなので、六分儀などとも同じような役割を果たしていたと思われます。

象限儀 (割円八線表) ⇔ トータルステーション


日本全国を測量しようとしたら、様々な地形に出会います。中でも日本は山地がとても多いため、坂道も必然的に多くなり傾斜を求めるのに使用されました。また、星の高度を知るためにも利用されました。

この象限儀は三脚に据えて、梵天を持っている人の目を目標に観測されました。測った角度は割用八線表と呼ばれる三角関数の表を利用して距離を求めていました。
水平角と同様にトータルステーションで観測すると鉛直角も記録しているので、現代では一瞬で観測することができます。

まとめ

このように伊能忠敬は様々な道具を駆使し、日本地図を作成するために必要な距離や方位などを求めていたということがわかります。
しかし、科学技術は発展し、今ではトータルステーションを据えて、次々と観測を進めていき、野帳データをパソコンに取り込む…。難しい計算はボタンでポン…。
過去の偉人といわれる伊能忠敬は、やっぱり偉人なんだなぁと筆者は心の底から感じてしまいました。